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shunichiro0083のアイのダメヲタ日記-感想と推測と妄想の終わらない円舞曲

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2005年 11月 25日

機動戦士ガンダムSEED DESTINY OFFICIALFILE MECHANICS 04のこと

・と、いう訳でオフィシャルファイルについて少し。量がそれなりなので、箇条書き風覚書で羅列させてみます。
 一応、項目は本の順番です。

・打撃自由及び無限正義の動力源(新型エンジン)に関する記述はなし(但し、新型駆動力はザフトの最新技術であることを匂わせる記述はある)。

・上記2機の開発に使われた技術やデータはターミナルから、ファクトリーに提供された。と、言うことは今更ながらターミナルのメンバーは連合及びザフトの技術陣の上位にも潜入している、ということになる。

・アカツキは当初、オーブ軍の旗機となることを想定されていたが、さまざまな要因からアスハ家の私的な装備、ということに落ち着いたらしい。
 また、開発自体はかなり早い段階からカガリ専用機として進められていたらしいが、硬度に過ぎるスペック要求に滞るだけ滞り、実際の完成は前大戦が終了してから大分経ってから、ということのようだ。
 そうなると、あのウズミの遺言映像はもっと早く完成していたという想定で撮られたものなのだろう。

・対ビーム防御・反射システム“ヤタノカガミ”がナノテクによる特殊処理鏡面装甲であることはよく知られているが、ならばどうして同じく標準装備されている試製71式防盾にPS装甲を仕込まなかったのだろう。
 これについて同書では「(シールドの)中央部には特殊鏡面処理はされていない。あるいは、実体兵器への対抗措置が施されているのだろうか?」とあるのだが-「?」はないでしょ、「?」は。

・「シラヌイ」に搭載された誘導機動ビーム砲塔システムの形式番号はM531Rなのだが、これはレジェンドのGDUや、カオス/打撃自由のEQFUともとも異なるもの。
 どうやら、こちらも新型量子インターフェースを採用した、誰にでも扱える改良型ドラグーンのようである。オーブの技術陣は独自にこれを開発したのだろうか。

・C.E.世界のビーム兵器の規格はほぼ、共通しているらしい。これはひょっとしたら、マイウス・ミリタリー・インダストリーもロゴスと繋がっていた傍証であるのかもしれない-というのは穿ちすぎだろうか。

・結局、何故ガイアがバルトフェルドの手に渡ったかは「何らかの手段」ということで、詳しい説明はなし。

・前から思っていたのだが、ビームシールドとドムトルーパーのスリーミングニンバスは似て非なるものらしい。ちなみに、後者は「攻性の防御フィールド」と説明されることが殆どなので、さしずめビームシールドは「守性の防御フィールド」ということになるのだろう-よく分からないが。

・ドレイク級宇宙護衛艦改に搭載されたリフレクターシールドは「アルテミスの傘の改良型と、陽電子リフレクターのハイブリッドに近いものになっている」ということであるらしい。
 と、言うことは「アルテミスの傘=光波防御帯」と「陽電子リフレクター」はその作動原理、若しくは効果範囲が異なる、ということになるのだろうか。
 また、ザムザザーなどが搭載していた初期のリフレクターシールド=陽電子リフレクターは、その頃は防御出可能なビームの種類が限られていたらしい。つまり、陽電子リフレクターが光波防御帯に近付きつつある、ということなのだろうか。
 こうしたことを考えると、光波防御帯の技術を元に簡略化、簡素化、小型化を果たしたのが陽電子リフレクターなのでしょう。
 その一方、ビームシールドも「モノフェーズ光波シールド=光波防御帯」の技術を元にして開発さられたことになっている。両者がどう違うのかは不明なのだが。単に出力の違いとかだったら笑えるのであるが。

・デスティニープラン用量子コンピューター群の設置場所は不明で、メサイア内部ではなかった様子。バックアップの有無も分からないらしいが、議長の性格から考えてバックアップが取ってないなんてことはまずないだろう。

・しかし、デスティニープランそのものとも言えるコンピューター群がメサイアに設置されていないということは、プランは一時的に頓挫しただけでこれが発見さえされればいつでも、すぐに再開出来るということになるのではなかろうか。。

・軌道間全方位戦略砲 レクイエムシステムの要とも言うべきビーム偏向ステーションに付けられた名称「グノー」「フォーレ」「チェルシー」などは全て、レクイエムを作曲した音楽家の名であるらしい。
 いや、こういう細かい所の押さえ方は本当に巧い。

・長谷川先生の1P漫画も、少々お疲れ気味なご様子・・・。



・何ていうのか、正直な感想を言ってしまえば「あ~あ」という感じ。色々言ってはいるのだけれど、なら何故、デュランダルはデスティニープランを発動させるまでに現実に絶望したのか、は一言も語られず仕舞。
 勿論、真っ当な作品を作った監督にならそんなことは言わないけれど、本編の中で満足にそういう部分を語ってはいないのだから、せめてインタビューでくらい説明して欲しかったな、と。自分の尻は自分で拭いてくれよ、と言いたい。

・あと、デュランダルを「正義」ではなく、「悪」にしたのはやっぱり脚本や演出の問題でしょう。そういう意図の元で、デュランダルは描かれたのですから。後になってデュランダルやデスティニープランを擁護するのなら何故、最後まで「正義」対「正義」という風に描かなかったのか。
 その方が作品に重みが出るでしょうに-まあ、勿論、製作サイドがデュランダルを「正義」と信じていなかったからなんですが。

・結局、「種運」のテーマは「戦争は何故起こるのか」ではなく、「戦い」そのものがテーマなのだ、ということなのだそうで。
 それは「種」で死を選ぼうとしたアスランに対してカガリが涙ながらに言った言葉でありますが、どうやら監督はただ生きているだけでは駄目だと、そう言いたいようです。
 まあ、この辺りの詳しい話は実際に読んでもらいたいのですが、これは所謂「いまどきの若いモンは」というお年寄りの愚痴、そのものだと思います。しかも、資本経済社会が内包する構造的宿痾を個人の責任にすり替えている。
 自分の世代が自分の子ども達全体=次代に与える影響と言うものを、少しでも真摯に考えているならこんな無責任な考えを口にすることは恥ずかしくて出来ないと思います。

・しかしこうして考えると、遺伝子云々は兎も角、管理する者とされる者、に分化した管理社会というのは「ザブングル」で既にやっているのだなあ。
 おまけに、「人間が自由を求める心は強い」ということまできちんと描いているのではないかと。
 難しかったのは物量的でもなければ精神的でもなく、単に監督氏の手に余るモンだった、ということなんではないかと。
 そうした「正義」対「正義」という思考ゲームをきちんとした一個の作品に仕上げた人や、「管理社会は間違っているのだ」という主張をきちんと、物語として描いて見せたクリエイターというのは少なからず存在するのですからね。

・取り敢えず、監督氏の「リベンジしたい!」という強い気持ちが解消されるであろう今後の作品が、「種」第三弾でないことを祈りつつ・・・。

by shunichiro0083 | 2005-11-25 00:56 | 書籍


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