2007年 12月 15日

「00」における西暦とか設定開陳に関する方法論のこと

・今回のお代は今月号のNT誌の藤津亮太氏のエッセイ「アニメの門/リアリティという箱庭のつくり方」及び「GREAT MECHANICS DX 3号/「00」巻頭特集」についての雑感です。

※ちなみに、日付が12/15なのはこれを一番最初に書いたのがこの日だからで、それを今まで見えないようにしていたのは内容の練り込みと推敲が足らず。かつ、今日まで仕事やら体調不良やらで、手が付けられなかったから。
 取り敢えず、ちょっと余裕が出来たので正式にUpします。



・藤津氏曰く、「00」の西暦とは視聴者に対して単なるリアリティを喚起するだけのものではなく、作品世界と現実を地続きに感じさせる効果を持つという-どうやってかはNT誌を読んで下さい。
 しかしながら、どうでしょう。今の段階では藤津氏も遠まわしに認めているように、「00」ではそうしたリアリティの喚起というのは成功しているとは言い難いのではないか、と自分なぞは思ってしまいます。
 それは単に「死」とか、その表現ではないようにも思えるのです。

・僕が「00」という物語にリアリティを感じていないのは、少なくとも現時点では荒唐無稽な御伽噺の域を脱していないからだと思っています。
 それは何も現実っぽい展開がされないとか、自分の予測通りに話が進まないから、とかいうことではなく。現代の延長線上であるとはっきりと作中でも主張され、メンタリティなどがパラダイムシフトを起こしている訳でもないのに、そこで描かれるドラマが現実の常識では理解出来ない、ということが問題なのではないでしょうか。
 無論それはMSが主力兵器になっているのはあり得ない、とかGN粒子なんてものが存在するのはおかしい、などという浅薄な理由ではありません。
 もっと地に足の着かねばならない部分でのリアリティが置き去りにされているからこそ、「00」の西暦には荒唐無稽さしかないのではないか-自分はそう思います。

・ちなみに、このエッセイで「機動戦士ガンダム」について理解がすっぽり抜けていると僕が感じたことは(ひょっとしたら意図的に無視した可能性の方が高いとは思いますが)、宇宙世紀という架空の舞台は今でもこの現実の延長線上にある、ということです。
 もっというなら、SDを除けば殆ど全てのガンダムシリーズは西暦からの続きであると言っても過言ではないでしょう。これは「種」や「種運」でも同じです。特にこの二作品は明確に西暦との関係が公式年表で述べられています。
 しかしながら、過去のガンダムシリーズとはそれぞれの作品において明確なパラダイムシフトが行われていることが明確になっています。その共通するターニングポイントこそ、スペースコロニー建設に代表される宇宙進出でした。
 もっとも、「種」と「種運」だけは少々趣が違い、コーディネイター人口の増加とそれによるナチュラルの確執、ということになっています。が、最終的な図式は宇宙移民対地上人という旧来の形に落ち着いています。

・というように、過去の作品では必ずしも現代の価値観が通用するとは限らない、という前提を用意しつつ、それでも人間の本質は変わらないということでリアルな人間ドラマをその作品なりに描こうとしていたと思います(成功失敗は別にして)。
 しかしながら、今回の「00」では西暦という年号に代表される現代と同質ではあるが近未来というには遠い未来を舞台にしてしまったが為に、人類には過去の作品にはあったであろうパラダイムシフトが生じていません。
 にも関わらず、やってることが無茶苦茶で、筋が通っていないから非現実的だという無用の反発が生じてしまうのではないかな、と思うのです-いや、この二つの描写がダメなら何が前提ではあっても批判されるのは仕方のないことでしょうけれど。描こうとする世界が完全な異世界で、価値観や常識などが現代とは全く異なるというのであれば、別にそれでいいというかそれこそが正解なのでしょうし。
 確かに「機動戦士ガンダム」と「00」が採っている作劇の為の方法論というものは真逆ですが、本質は人間ドラマにあることに変わりはない筈です。にも拘らず、ここまで11話を費やしてもなお、そうした部分がきちんと描かれているかどうかは正直疑問である、としか自分には感じられません。
 思うに、あまりに骨太のいう政治ドラマたろうとしたり、これまでにない規模の群像劇を描ききろうという自意識が強すぎたあまり、結果、空回りになってしまっているということではないでしょうか。

・で、次は「GMDX」誌での設定特集ですが、こちらももう何か勘違いしてしまっているという感じのインタビューではありました。
 ここでも「これまでとは違うものを作ろう」という気持ちが先に立ちすぎて、やっぱり視聴者に上手く伝わらないようになってしまっている、というのがひしひしと感じられました。まあ、そういう意味では実に千葉氏らしいという印象も受けましたが。
 これは姫鷲さんの所でも書いたのですが、製作者側が間違えているのは『情報規制の線引き』という複雑なものではなく、もっとそれ以前のそもそも何を伝え、何を隠すのかという取捨選択から間違えてしまったのではないか、と思わざるを得ません。
 そういう意味では「GN粒子の謎」などいうものは、少なくとも11話の時点まででは明かされる意味があるものなのかどうかは正直疑問です。このお話の進め具合で必要であるとするなら、GN粒子そのものではなく、これに根本的に対抗する手段の開発とかでしょう。
 あとは何故、アザディスタンでは内乱が終息しないのか、もですね。エネルギー危機がその原因だとするなら、国連主導による打開策が攻撃の対象になるというのも全くピンと来ません-イラク国内が占領後もテロが終わらない、というのとは訳が違います。
 そうした部分が全く説明されないからこそ、視聴者は追いてかれ感を強く持ってしまうのではないかと僕は思います。

・その一方で、説明しなくてもいいことは説明してくれるんですよね。それも、本編以外の部分で。この辺りも、お世辞にも成功しているとは言えない所ですね。
 正直、MSの値段とかは書いてもしょうがないし、寧ろ公の場で書くことで混乱してしまうと思う-事実、現代の戦車と同じ値段というのはどうよ、という感じです。テロ組織がそれなりの数のMSを所有出来るのなら、もっと単価は下げておくべきだったんではないかと思います。
 勿論、国家なり大企業にしか売らない、というのであればどんな値段でもいいんですがね。でもそうではないような作中での描写の方が多いと思われるので。それともあれなのかな、第3国からテロ組織なりに売り払われる時点で滅茶苦茶安値で、かつ、消耗材なんかも大盤振る舞いで付けてくれるし、その後の供給も約束してくれるということなのかな。
 だったら、そういう国こそ戦争幇助国としてさっさと叩き潰さんかいCB、という気持ちになりますが。

・あと、MSの素材に使用されているEカーボンというのは大層強固なもので、これで人型兵器を作ると通常兵器では歯が立たないのだそうです。加えて、もともとMSの元となった作業用マシンが軌道EV建設用の、陸空宇宙といった海以外の領域に対応していた汎用性の極めて高い機器だったこともあり、戦車や戦闘機といった在来兵器は駆逐されてしまったのだとも。
 いや、その理論では素人考えですがEカーボンで戦車なり戦闘機を作れば良かったのではないかな、とか思ってしまうんですが。その方がコストも安く付いたろうし。実際、ティエレンの手持ち武器:200mm×25口径長滑腔砲なら充分、戦車砲としても流用出来るんではないかと。
 このティエレンが撃ってる弾種の一つに「離脱装弾筒付翼安定徹甲弾(ADPSFS)」があるのに「対戦車榴弾(HEAT)」がないのですが、別にEカーボン製の対MSヘリでも作って、HEAT弾頭の対MSミサイルとかでもいいのかなあ、とも思いました。
 が、エクシアのインストによるとEカーボンはビーム兵器でもなければ貫けない程の耐熱性能を持っているようです。なので、必然的にHEAT弾は廃れ、離脱装弾筒付翼安定徹甲弾やリニアライフルと言った物理破壊力に特化した武装が主流となったのでしょう。
 そんなこんなでEカーボンは歩兵が携行出来る兵器で破壊することはほぼ不可能、ということらしいですが、その理由はこの高い耐熱性能に由来するのではないかと。無論、モンロー/ノイマン効果に拠らない、物理的貫通力に優れた対MSミサイルが開発されていれば問題なかったのでしょうが、どうも技術的停滞の起こった「00」の世界ではそうした方面での技術革新は為されなかったようです。
 まあ、事ほど左様にMSの軍事的優位をきちんと説明するのは難しいようです。どうしても、既存の軍事体系とかを視野に入れると、説明が難しくなってしまうのですよね。ですから、折角、シリーズが総力を挙げて「MSは強い!」というイメージを30年かけて強固に造り上げてくれたのですから、あとはそれを黙って踏襲するのがいいんじゃないのかなあ、とか思います。
 そういう部分の取捨選択が上手くないなあ、と思えて仕方ないんですよね。無駄な力を入れるのではなく、もっと視聴者が求めている部分をさり気なく説明して欲しいです、はい。
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by shunichiro0083 | 2007-12-15 17:57 | 設定「00」


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