shunichiro0083のアイのダメヲタ日記-感想と推測と妄想の終わらない円舞曲

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2005年 12月 16日

ボンボン版種運・06年1月号を読んで ネタバレあり!

・さあ、泣いても笑っても今回が正真正銘の最終回です。そして、最終回に相応しい物語の決着だったと思います。
 高山先生はTV本編が群像劇となってしまったのとは対照的に、最後まで主人公をシンからぶれさせることなく、描き切ってくれました。
 その為に不必要な枝葉をギリギリまで削ぎ落とし、キラ側は勿論、必要とあればアスランの出番すらカットして「シンが主人公である物語」として、「種運」を再構成してくれた高山先生の決断と手腕を、一ファンとしてとても嬉しく思いました。



・この最終回ではミネルバとアークエンジェルの戦いはおろか、レイとシンの戦いですら背景でしかない。
 最終回で描かれたのはアスランとの決戦に託されたシンの物語の決着であり、議長の敗北とデスティニー・プランの打倒すら、その結果でしかないのだと思う。
 ボンボン版で描かれたシンとは決してTV版のように何も考えず、流されるままに戦った少年ではなかった。確かに「わからない」とは口にするけれど、それでもシンはきちんと悩み、考えた末に議長側に立つことを、アスランと戦うことを決断していたことが最終回できちんと描かれている。
 その一方、それはシンが「敗者」となることが定められていたことと相反する訳ではない。シンはこの敗北をきちんと受け入れ、その上で明日へ、未来への道を歩み出したのだから。
 そう、確かにボンボン版「種運」とはシン・アスカの成長物語であったのだ。

・アスランが本気でないことも、きちんとその迷いが語られていていい。そしてその迷いはかっての自分の姿と、今のシンが相似しているから、という理由付けも納得が行くものである。
 アスランは言う。デスティニー・プランとは所詮、「力」でしかないと。そこには正確な計算と完成された論理はあっても、肝心要の「心」がないのだと。それでは人間は、「心」を持つ人間は救われないのだと、アスランは断じる。
 しかし、そんなことはシンにも分かっている。しかし、その「力」を受け入れることで戦争が根絶されるのなら。最善の道を知りつつも、それを行うことの出来ぬのがこの人の世ならば、たとえ弊害は大きくとも次善の策を用いる以外に仕方ないのだと、そうシンは考えていたのだった。
 今回のこのシンとアスランの戦いこそ、ボンボン版「種運」のテーマが凝縮されたやり取りではなかったかと思う-TV版とは微妙に違うものではあったが。

・一方、議長を巡る描写もまた、TV版とはかなり変わった解釈に基づいて改変が為されている。どうも議長はデスティニー・プランを実行するコンピューター群の指示に従い、実行していたのではないかと思わせるような描写なのである。
 無論、そのコンピュター群を造り上げたのは議長その人であろうから、そういう意味では議長は自らの計画に従っていたに過ぎない。しかしながら、人ならざるコンピューターの計画に沿って議長が動いていたのだとしたら、それは議長が自らの手でデスティニー・プランの無謬性と正当性を証明しようとしていたのかもしれない。
 しかしながら、レイは最後まで議長を裏切ることなく、タリアも二人とともに炎の中に消えることを選びはしなかった。確かにTV版とは違うが、それは一年間誠実に積み上げて来た物語を尊重した結果であり、日和ることなくそれを描き切った高山先生を僕は本当に素晴らしいと思う(そしてそれにOKを出した、サンライズの英断にも)。

・最後、アスランとの戦いに敗れたシンは夢うつつの中で死別したステラと出会う。それが幻想かどうかはこの際、どうでもいいことだ。
 これが混濁した意識が見せた幻想だとするなら、シンは無意識の内に懊悩と葛藤と死闘の果てにようやく自己を肯定したのであろう。シンが垣間見る穏やかなステラは、願望の現われということになろうか。
 また、この光に包まれて微笑むステラが真実、死せる魂であるとするなら、敗北によって自己を否定せんとするシンを救うべく降り立った天使とも言うべき存在であろう。
 真実がどうあれ、このステラの姿と言葉にシンは希望を取り戻し、不毛の荒野の彼方にこそあるであろう、明日を、未来を手に入れるべく歩き始めたのだ。


・もう、これ以上は蛇足でしょう。色々憎まれ口を叩きたい気もするのですが、この見事な結末を前にしてはもう何も言うことはありません。
 ちなみにコミックス最終巻は年明け1/6に発売。短編集は1/23の発売です。
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by shunichiro0083 | 2005-12-16 22:28 | コミック


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