2012年 12月 26日

#47 青い星 散りゆく命

・「揚」の擁護派の方々のポイントと言うのはひとつにガンダムシリーズが明確にキッズアニメとしての自覚を持って制作されたこと、と挙げてます。
 これは今後を考えた時にかってのSDガンダムが果たしたような、幼年層や若年層がガンダムに親しむきっかけとなるべき作品であった、ということでしょう。これは裏を返せば近年に放映された「SDGF」や「SD三国伝」といったSDシリーズが、幼年層や若年層の取り込みに失敗していることを意味していることになります。
 その意味において「揚」はレベルファイブでそうした層に対して大ヒットを飛ばした火野社長をメインスタッフに据えることで、アピール出来ると計算されたのでしょう。
 しかしながら、その存在意義ということは「商品」としての存在理由であって、「作品」としての「揚」の出来栄えについてまでは擁護出来ません。
 残念ながら、「揚」は目的とした層に対してアピールすることは出来ませんでした。

・第二に挙げられるのは番組終盤に発売されたコンシューマーゲームの出来です。自分は未プレイなので判断は出来ませんが、擁護派の人達は口を揃えて良い出来だったと仰っている印象を持ちます。
 が、これもTVアニメの「揚」を擁護するには大分ピントが外れているように思えます。ゲームの出来がどんなに優れていても、どうしてそれがTVアニメの評価に関係して来るのでしょう。まして、この場合TVゲーム版「揚」はアニメのゲーム化でしかありません。ゲームありきで、それがアニメ化されたというものではないのです。
 逆に言えば、ゲームが優れているのにアニメがつまらないということであるなら、それは取りも直さず火野社長をシリーズ構成及びメインライターに据えた判断が間違っていた、ということになるのではないでしょうか。餅は餅屋の格言通り、適材適所を徹底していればこんな無残な結果にはならなかったと思います。
 これは余談ですが、ゲーム版「揚」は100万本の売り上げを目指していたようですが、検証可能なデータとしては10万本にも届かなかったようです。やはり、アニメのあの出来栄えを見せつけられたユーザーが敬遠してしまったのではないか、とも思ってしまいます。 

・ちなみにプラモデルの売り上げも多いのか少ないのかは判然としませんが、わざわざバンダイの社長が気にするなと公の場で激励した以上、擁護派が言うほどは売れていないのではないかなあ、と思わざるを得ません。
 擁護派の人達は種類が出続けたから売れたに違いないない、と言っていますがそれだと「G」のケースをきちんと説明出来ないと思います(「G」のプラモは放送当時、主要ガンダムしか出ていなかったが「V」並みのヒットとなった他、SDシリーズとの相乗効果を生んでシリーズ全体の売上に貢献した)。



・タイトル通り、それまでのキャラクターが死んで行くお話でした。と言っても、死ぬのは前線に出るMSパイロットばかりですが。そう考えると、アセム編で死んだ眼鏡っ娘メカニックというのは非常に珍しい部類に入るのかもしれませんね。
 また、「種」と違って数回にかけてキャラクターの殉職を見せる、という点は評価出来るのかもしれません。結果的に三世代編のキャラはは半年近く登場して来た訳ですし、公然猥褻カットの彼などは3クールに渡って登場出来た稀有な存在でした。
 そう言う意味では優遇されたとも、言えるでしょうね-アセムの同僚だったメガネや女の子はその後、何の音沙汰もない訳ですから。

・とは言え、死んで行くのがパイロットばかりと言うのもなんだかなあ、という気がします。特にセリックをあんな形で殺す必要があったのかなあ、と。
 艦長の覚悟を示す、という意味ならダメージコントロールに出向いたブリッジ要員の誰かが、艦を救う為に自分を犠牲にし、現場では操作出来なくなってしまってエンジン部のパージを艦長にゆだねる-とかでも良かった気がします。
 そうすることで、だらしなく覚悟もない愚連隊だったブリッジクルーの連中の成長なんかも見せられたんじゃないですかねえ。尤も、あの連中がどうしようもなく駄目な奴ら、というのも殆ど描写されてませんでしたから、それはそれで唐突感満載になってしまった可能性も高いですね。
 まあ、それにしてもあそこまで有能で勤勉だったセリックがあまりに定石的な戦争の悲劇で死んで行く、っていうのは個人的には面白くありませんでした。

・死ぬと言えば、あの兄貴の再登場と退場も本当にあっさりとしてましたね。幾ら戦争もので人が死ぬのは当たり前とは言え、こうも簡単に手札を切るっていうのは如何なものなのでしょう、という気がします。
 限りなくモブキャラに近いキャラクターならいざしらず、それなりに物語の中に組み込まれたキャラクターだったらそんなに死を安易に描かなくてもいいと思うのです。
 これは僕のジュブナイル観なのですが、最低限、子供に見せるものだったらもう少しエピソードを積み上げたものであって欲しいと思います。そしてキャラクターの死は連発するものでもないのではないかな、と。
 この場合、あの兄貴は死んでいなくて、ヴェイガンと地球の和解の懸け橋になる-それくらいのゆるい展開の方が望ましいんじゃないかな、と思うのです。不殺で戦争を殺せるがファンタジーなら、戦いのさなかに共通の敵を見出して和解するっていうのもファンタジーでしょう。
 だったら、そのファンタジーをファンタジーでなくす為にキオによって生き永らえたキャラクターがいる、とした方がよりそのファンタジーをもっともらしく描けると思うんですよね。その方がジュブナイルとして、夢があるとも思います。
 そうしたどっちづかずな作劇も、「揚」が視聴者からの評価を得られなかった要因のひとつだと思うんですがねえ…。
[PR]

by shunichiro0083 | 2012-12-26 16:08 | AGE「感想」


<< #48 絶望の煌き      #46 宇宙要塞ラ・グラミス >>