2011年 11月 14日

仮面ライダーフォーゼに関するいくつかのこと

※高遠ルイの日記

・無題
http://d.hatena.ne.jp/ruitakato/20111113

・ありがためんどく
http://d.hatena.ne.jp/ruitakato/20111114

・今回の記事は上の二つを前提にしてますので、よろしくお願いします。

・だからと言って、高遠先生を批判するという意図もないのでよろしくお願いします。こんな考え方もある、ということでひとつ。

・最後になりますが、平成ライダーファンは読まない方がいいですよ。後悔しますから、絶対。




・と、まあ、のっけからプロ作家さんのブログの紹介から始まる訳ですが。多分、この方は「平成仮面ライダー」という存在が全ての人を救える、と思っているのだろう、と-まあ、印象でしかないんですが。
 別に昭和とか平成とかいう枕詞をつけなくても、仮面ライダーだって手が届く所にいる人しか救えない。っていうか、昭和よりも平成の方が救える人が少ないのではないか、という気もする。
 しかしそれは当り前で、リアリティを重視して大人の鑑賞にも耐え得るということを目指した脚本ではそうなって然るべきなのでした。かってはそうした部分のフォローとして(結果的に)少年ライダー隊があり、平成第一作の「クウガ」では警察の連携という至極真っ当な結論に辿り着いている。
 けど、それ以外ではそうした広がりと言うのは物語の要請からもあまりなく、そうした流れでは仮面ライダーが救える人間、防げる被害と言うのがそう多くなる筈もないのだ。

・とか言いつつ、今回の祭壇座のお話を見てみるなら弦太朗がアマゾンちゃんを救おうとすることは自明の理である。だって、前からの友達なんだから。
 胸に手を当てて考えてみて欲しい。悲惨な状況にいる三人の学友がいて、その内の二人は正直よく知らない赤の他人。だが、残る一人は僅かひと月強の間に不可思議な体験を共にした仲間とも、友達とも言える存在。
 この三人の内、誰を最初に助けるのかを選ばねばならないとしたら。貴方なら誰を選ぶだろう。名前も碌に知らない赤の他人か。それとも、少なからず縁のある人物か-なんて書くことすら馬鹿馬鹿しい。誰でも以前からの知り合いを選ぶだろう。
 いや、これが知り合いとは言え仲がすこぶる悪い、とかいうなら話は別だが。そうでないのなら、多少なりとも付き合いのある人間を選ぶ。これがリアリティってもんじゃないのだろうか-まあ、これが衛宮士郎なら話は別だろうけど。
 
・それに今回、別に残りの二人や祭壇座を見捨ててる訳でもないしなあ。あそこまで暴走してしまっていれば、そりゃあ、荒療治しかないとも思う。けど、手下の二人はちゃんとシーツで受け止め、繭から覚醒した主犯には機械越しとは言え隼が手を差しのべている。これ以上、何を望むのだろう。
 そりゃあ、確かにいじめは良くない。絶対に。それは間違いない。だからと言って、その復讐を無差別に行ってしまうのでは庇いようがない訳で。今回の祭壇座のやろうとしたことは肯定されてはならないことなのだ。
 話して分からない悪は力づくでも止める。これって非難されるべきことなのだろうか。
 無論、今回の魔女志願三人が今後、学校での風当たりが強くなることは想像に難くない。けど、それは自ら蒔いた種なのだ。そこでまた逆切れしてもしょうがない。けど、やり直しは効くし、償うことも出来る。
 そしてそれが可能なのは、フォーゼと仮面ライダー部の面々が大惨事になるのを寸前で食い止めていたからである。人を殺さず、破壊もしないで済んでいるからだ。こうして考えるなら、仮面ライダー部と言うのは最後のセーフティなのだなあ、と思う。

・で、これも印象でしかないけれど、平成ライダー-特に最初の10年-というのはこういう部分をあんまり描いていなかったのではないかと考えます。個人的には「アギト」は「クウガ」から性善説を取っ払ったようなお話だし、「龍騎」は主役はいい奴だったけど少数派だから、どうしようもない無力感。
 「555」「剣」「響鬼」「カブト」「電王」「キバ」はちゃんと見てないので何とも。ただ、印象で話すなら「響鬼」はやっぱり、前半の方が好き。けど、映画は支離滅裂だなあ、という記憶しかない。同じく映画版数本しか見てない「電王」でも、平成ライダーっぽくない良い感じの雰囲気は伝わって来る。
 「カブト」は途中でドロップアウト。ただ、どうにもあの人間不信が根底に流れてるような作劇が好きになれなかったのは確か。
 で、こうした流れが変わるターニングポイントとなったのが「電王」で、いい区切りだからと10周年に引っかけて路線変更したのが「DCD」だったんじゃないかなあ、と勝手に想像してます-まあ、玩具の売り上げとか色々他の要因もあったんでしょうけど。
 で、その後は「W」「000」と来て、「フォーゼ」になる訳です。「DCD」や「000」は平成ライダー色が結構あるけど、「W」と今回の「フォーゼ」からはあまり感じませんね。そうは言っても、それまでに比べればかなり「DCD」も「000」も平成色はかなり薄められていると感じますが。

・ただ、「フォーゼ」に関してはやっぱり全体で見ると凄くきつい出来なのも確か。最近は三条先生の脚本なので評価も高い訳ですが、それ以前の中島氏の書いた脚本は本当にきつい。これについては高遠先生の指摘は正しいと思います-実際、JKの回とか酷かったもんなあ。
 噂によると「デジモン」も終わるらしいので、いっそのことメインライターを三条先生に変えて欲しいと思いますよ。中島氏はメインよりもサブをやる方が向いてるんじゃないかなあ、とも。
 「フォーゼ」も元の素材はそう極端には悪いと思えないので、料理次第ではちゃんとしたものに仕上がる訳で。それはこのひと月が証明している。ってことは、やっぱり中島氏の手腕とか実力の問題なんではないのかなあ、とか思うんですね。

・と、ここで「フォーゼ」に話を戻すと今回、これで仮面ライダー部の面々が揃ったので次の話からは非公式にゾディアーツによって引き起こされる事件を一致団結して解決していく-という話にはまだならないっぽいですね。残念。
 こうした学園お助けものは少年漫画の王道とは言わなくても、それなりに重要のある所なので受けもいいのではないかなあ、とも思うのです。古くは「ガクエン情報部H.I.P.」とか「パズルゲーム☆はいすくーる」とか、最近では「SKET DANCE」なんかも-喩えが上手くないのはスルーで。
 どうせ今後もスクールカーストなんて空気同然になるのでしょうから、それなら思い切って皆が慣れ親しんだ日本の学園物にさっさと名実ともにシフトしちゃった方がいいんじゃないのかなあ、とも思ったり。
 色々書きましたが取り敢えず、三条先生が脚本に参加してくれたのでそれだけを希望の灯として僕はこれからも「フォーゼ」を見続けると思います。それだけは確定ですね。
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by shunichiro0083 | 2011-11-14 20:08 | 特撮


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