2004年 12月 08日

「種」プログラムピクチャー説のこと

・さて、今日は趣向を変えたモノを二連発してみましょう。
 実は前に同人誌で「種」の感想本を出したことがあり、まあ、このブログでもその時にまとめた考えなんかが色濃く反映されています。
 今回はそれから一節を抜き出して、引用してみます。「種」の本放送当時に書かれたものですから、多少古臭かったり若干違う部分はありますが、総じて「種運」にも共通項が多いのではないかと思い、アップすることと致しました。
 それでは、どうぞ。

 話は変わって、原作者の富野由悠季監督はガンダムエースのインタビューの中で、「種」の事を『半分は悪口と取られるかもしれませんが』と前置きしつつも、『プログラムピクチャーだと思っています』と発言しています。この場合のプログラムピクチャーというのは、映画会社の量産システムの中で企画主導され、効率良く大衆向けにパターンが決まっていた娯楽映画を指すそうです(ガンダムエース特別号・295頁)。
 この言葉を額面通りに受け取るなら、「種」とはサンライズの親会社であるバンダイ(サンライズはバンダイグループの一員)からの企画を受け、製作された作品という事になるでしょう。まあ、現行のガンダムの関連商品の売れ行きを見れば、それも当たり前と言えば当たり前です。
 勿論、富野監督がわざわざ断りを入れている通り、僕もこのプログラムピクチャーが必ずしも粗雑で低級のものを意味するとは思いません。このプログラムピクチャーは映画が娯楽の王道だった60年代前半の後、TVの台頭によって急激に衰退する訳ですが東映においてはこの時映画の量産で鍛えられた人材が、後に数多くのTV特撮ドラマを創っていくようになります。「ジャイアントロボ」然り、「仮面ライダー」然り、です。こうした、今でも僕らの心に残る作品が創られたのも、プログラムピクチャーを量産する為にスタッフを会社が丸抱えしていたからに他ならないのではないかと、僕は考えます。そうした心に残る作品群を創る土台となったであろうプログラムピクチャーを有り難がりこそすれ、貶めようとは僕は思いません。
 ただ、それもプログラムピクチャーと世間から侮蔑的に呼ばれたとしても、その仕事に真剣に向き合い、きちんと創っていたかどうかによるでしょう。ここでは脚本家の荒井晴彦氏の言葉を引用して見ます。
 『今の映画界は、観客のことだけを考えている人と、全く考えていない人に二極化している。子供向けのアニメの枠組みの中で、どれだけ自分のこだわりを入れられるか。そのせぎあいからしか奥行きのあるエンターテインメントは生まれない』(4月24日付朝日新聞・文化欄より)
 この言葉の「映画界」を「アニメ業界」‐まあ、“555”のスタッフの方が的を射ている様な気もしますが‐に言い換えると、前述のインタビューで富野監督が「種」に対して抱いている危惧が少し、読み解き易くなるのではないかと思います。これについてはこの節の後半でもう一回扱いますので、覚えておいて下さい。
 それでは、「種」の一体どの辺りがプログラムピクチャーなのかを僕なりに検証してみましょう。
 第1に、「21世紀のファーストガンダムを目指す」という事でしょうか。これは多少のカリカチュアはあるとは言え、シリーズ構成の大筋を「ガンダム」と似た展開にし、キャラクター配置等もそれに準じたものにしようと言う印象を受けます。そして現在の所までは、それは大きくずれてはいないようです。これこそまさに、効率よくパターン化されたもの、そのものであると僕は思います。
 第2のパターンは設定的にガンダムと呼称されるメカが5体‐最終的には10体が登場するという点です。これは言うまでもない事ですが、プラモデルを売る為の方便です。そうでなければ、敵味方の主力メカにガンダムの名を冠さなくても別に構わない訳ですから。
 第3は今人気のキャラクターデザイナー・平井久司を起用し、その上で美少年や美少女・美女を持ってきた、という事になります。まあ、これについてはかっての「W」における成功パターンの踏襲、という事なのでしょう。実際この思惑は当たり、ガンダム同人ではこうした腐女子の皆様がそれこそ百花繚乱の態をなし、毎週末にはどこかの会場で「種」のオンリーイベントが開かれているという、凄まじい勢いです。
 第4は全部で4クールの内、1クール・13話ごとにOPを変え‐EDは2クール‐、その主題歌の歌い手を声優として起用するという事。まあ、実写作品では珍しくないパターンではありますが、アニメーションでここまで大々的にやったのは「種」が初めてでしょう。尤も、こればかりはファンの間でも賛否両論喧々諤々でしたが。ネット上での意見を見聞きしていた限りでは、1クールの西川氏は比較的好意的な意見が多かったですが、2クールでのヴィヴィアンは評判が悪かったですね。まあ、これには反論の余地もないと思いますけれど。その所為かどうかは分かりませんが、第3クールでは新主題歌を歌う玉置成実嬢の声優デビューは見送られたようです。
 5番目は最初から企画されたメディアミックス、という事になりましょうか。ゲームでは放映最初期の段階でPS2ソフト「GジェネレーションNEO」にイレギュラーとしてストライクとイージスの2機が参戦し、その後もWS用ソフトには他に先駆けてフリーダムが登場する。PS2用格闘ゲームの新作としても出るようで、「種」のゲーム展開が早い段階から用意されていた事が窺えます。
 しかし、このポイントの僕としての関心はそこではなく、むしろ出版状況にあります。もう、皆さんご存知であろう「ASTRAY」です。これは従来、後付け的に創作されてきた外伝作品を物語の最初から開始し、本編では語りきれない事項を物語化し、補完するというものです。それをコミック2種と小説1種という複数の視点から描くというのは、贅沢なのか浪費なのかはまだ判断できませんが、僕としてはときた先生のガンダム漫画が読めるので素直に喜んでいます。
 あと、これは蛇足ですが、講談社のマガジンZで好評連載中の「種」のコミックスはどうやら10万部を突破したようで、この辺りも本来の観客は比較的好意的に「種」を受け止めている証拠でしょうか。それとも、年長のガンダムファンが買って行っているのか、判断に迷う所ではあります。
 ともあれ、「種」ではゲームや外伝作品といった本来ならば人気が出てから企画される筈のものまで予め決定されていた、という点で会社主導のプログラムピクチャー的であると僕は思うのです。
 今挙げた五点はアニメとしては目新しいものはあっても、全くの新味ではありません。無論、こうしたパターンでも組み合わせ方を変える事によって従来にはなかった、独自の風合を出す事は可能です。むしろ、それこそが作者のオリジナリティなのだと僕は思います。しかしながら商業的には成功している「種」ですが、作品的には支持している人もいる反面、どうも辛い点数を付けたり、途中で観るのをやめたりしている人も多いようです‐かく言う僕も後者の内の一人なのですが。
 これは思うに、「種」があくまで子供向けアニメであるという枠組みを忘れ、ただただスタッフが自分が追い求めるテーマのみに視点がいっちゃってるからではないか、と。そのスタッフというのも監督一人の思惑だけならまだしも、それ以外の人間が志向する方向性も出て来てしまっているから、余計に分かりづらくなっちゃってるような、そんな気がします。
 実は「種」のこういう所こそ、富野監督が危惧し、荒井氏が指摘している問題点そのものではないかと思う訳です。確かに『戦争のない時代を創るにはどうしたらいいだろう』という高尚なテーマもいいし、性的描写の限界に挑戦して見るのもいいかもしれません。けれど、それはあくまで観客‐この場合はおそらく10代前半でしょう‐の事をおざなりにしてしまっていては、それでは優秀な商品にはなり得ても観た人の心に残る良い作品にはなり得ない筈です。富野監督の『もっときれいにつくって欲しい』という言葉はこうした部分を指しているのではないか‐僕はそう思うのです。
 また、富野監督は『きれいにつくる』っていうのは『もっとメジャーを意識しろ』という意味だと言っていますが、けれどこれは製作する本人の心の問題で、ジャンルとか主義思想に拘泥する事無く、もっと大きな視点を持って作品創りをしろと言っているのではないでしょうか。そしてその為には、荒井氏が言う処の真摯な『せめぎ合い』が必要なんではないかとも思うのです。
 「種」がプログラムピクチャーの枠を超えた、一級作品として成功するのか。それとも、プログラムピクチャーの決定版として、閉鎖的な完成を見るのか。或いはそのどちらにもなれず、ただ商品商売としての成功を収めるだけの平凡なプログラムピクチャーとして終わるのか。それはまだ誰にも分かりません。願わくばここに提示した第三の道にだけは行かないで欲しいものです。
<初出:「機動戦士ガンダムSEED」の「SEED」は以下略/平成15年4月29日発行>
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by shunichiro0083 | 2004-12-08 11:29


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